国際通りの歴史|「奇跡の1マイル」はどうやって生まれたか

更新日: 2026-07-24

那覇のメインストリート、国際通り。全長およそ1.6キロ(約1マイル)のこの通りは、戦後の焼け野原から驚くべき速さで復興したことから「奇跡の1マイル」と呼ばれました。今は土産物店と食堂が並ぶ観光の通りですが、その足もとには何層もの歴史が重なっています。

「国際」という名前の由来

意外に思われますが、この通りの名は国際交流や国際色に由来するものではありません。戦後まもなくこの通り沿いに開館した映画館「アーネスト・パイル国際劇場」が、名前のもとになりました。当時の人々が「国際劇場のある通り」と呼んだのが定着し、やがて通り全体の名になったのです。

劇場そのものは現存しませんが、映画館とまちの文化がつながる感覚は、今も桜坂劇場に受け継がれています。1952年開場の芝居小屋を前身とし、閉館の危機を地元有志が救ったこのミニシアターは、国際通りかいわいの文化の記憶そのものです。

「奇跡の1マイル」と呼ばれたわけ

沖縄戦で那覇の市街地はほぼ壊滅しました。戦後、人々が少しずつ戻り、露店や闇市が立ち、そこから短期間で商店街が立ち上がっていきます。その復興の速さが「奇跡」と呼ばれました。

その闇市の系譜をいちばん濃く残しているのが、まちぐゎー(市場)エリアです。

歩き方の実際はまちぐゎー(市場)の歩き方にまとめています。

戦前の那覇の記憶をたどる

国際通りができる前、このあたりはどんな場所だったのか。まちなかには、それを伝える史跡が点在しています。

さらにさかのぼれば、那覇はかつて「浮島」と呼ばれる島でした。埋め立てが進んで本島とつながった今もその名は残り、浮島通りという通りの名として日々使われています。

焼け残らなかったものと、残ったもの

沖縄戦は那覇の街をほとんど焼き尽くしました。だからこそ、残ったものの価値がひときわ大きいのがこの街の特徴です。

壺屋やちむん通りは、その象徴と言える場所。琉球王国時代に窯場が集められて以来のやきものの町で、戦火をくぐり抜けた石畳と、新垣家住宅のような陶工の伝統的な住まいが残っています。国際通りの喧騒から徒歩数分でこの静けさに出会えることが、那覇という街の重層性をよく表しています。

まちの記憶を伝える形は、史跡だけではありません。那覇大綱モニュメントは、琉球王国時代から続く「那覇大綱挽」にちなんだもの。毎年10月、国際通り周辺は今も祭りの舞台になります。

歴史を意識して歩くと

同じ通りでも、「戦後ここに露店が並んだ」「この駅から汽車が出ていた」と知っていると、見えるものが変わります。国際通りを端から端まで歩くのは20分ほど。その20分に1世紀分の物語が折り重なっている、と思って歩いてみてください。

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※史跡の説明や公開状況は変わることがあります。最新は各スポットページや現地の案内板でご確認ください。

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