国際通りからまちぐゎーへ 音声さんぽ
全9章・約28分。牧志駅前から国際通りを歩き、市場のアーケードを抜けて、 壺屋やちむん通りまで。無料のセルフガイド音声さんぽです。 現地で歩きながらでも、旅行前に自宅でも聴けます。
この音声はAI音声合成で作成しています。 内容はすべて当サイトの検証済みの記述から構成しています。
まちぐゎーは観光地であると同時に、地元の人が毎日買い物をする生活の場です。 通路の真ん中で立ち止まらない、撮影はひと声かけてから、ごみは持ち帰る。 この3つだけ心にとめて歩いてください。
- 停留所(番号は章番号)
- Rゆいレール牧志駅
- 矢印が進む向きです。表通りから、裏の路地へ入っていきます。
位置を掴むための略図です。通りの線は停留所の座標を結んで延ばしたもので、道路の形そのものではありません。 正確な位置関係は全体マップでご確認ください。
章の一覧
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本文を読む(854字)
那覇の国際通りへようこそ。
はじめに一つお伝えします。この音声はAI音声合成で作成しています。
このさんぽは全部で九章、およそ二十八分です。買い物や食べ歩きの時間を入れると、二時間半から三時間ほどを見ておいてください。
さて、これから歩く道の前に、この街の足もとの話を少しだけ。
那覇は、かつて「浮島」と呼ばれる島でした。
海に浮かぶ島だったのです。埋め立てが進んで本島と陸続きになった今も、その名前は残っています。浮島通り、という通りの名として、いまも毎日使われています。
海だった場所の上を歩いている。まず、それを頭の隅に置いてください。
今日歩くのは、二つの顔を持つ街です。
一つは、国際通り。全長はおよそ千六百メートル。ちょうど一マイルほどの、那覇のメインストリートです。土産物店と食堂が並ぶ、にぎやかな観光の通り。
もう一つは、その南側に広がる路地です。アーケードに覆われた商店街と、その真ん中にある市場。そして、その先にある職人の町。
この二つは、歩いて数分しか離れていません。けれど、空気がまるで違います。
今日のさんぽは、その表通りから、裏の路地へ、少しずつ入っていく道のりです。
観光の通りから、買い物の商店街へ。商店街から、生活の市場へ。市場から、職人の町へ。
一枚ずつ、めくっていくように歩きます。
歩き方について、三つだけお願いがあります。
一つめ。音声は立ち止まって聴いてください。アーケードの通路は狭く、荷物を運ぶ人も通ります。通路の真ん中で立ち止まらない。これがこの街でいちばん大事なことです。
二つめ。写真を撮るときは、ひと声かけてから。特に、市場の生鮮の店先と、働いている人。たいていは快く応じてくれます。
三つめ。ごみは持ち帰ってください。この街はごみ箱が少ないので、袋を一枚持っておくと安心です。
まちぐゎーは観光地であると同時に、地元の人が毎日買い物をする生活の場です。そのことだけ忘れなければ、この街はとても親切です。
それでは、始めましょう。
ゆいレールの牧志駅前、大きなシーサーの前へ向かってください。
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本文を読む(558字)
目の前に、大きなシーサーがいます。
ゆいレールの牧志駅前、さいおんスクエアに立つ、さいおんうふシーサーです。
高さはおよそ三メートル四十センチ。
名前の「うふ」は、沖縄のことばで「大きい」という意味です。うふシーサー。大きなシーサー。そのままです。
材料は漆喰です。
見上げてみてください。近くで見ると、思っていたより迫力があるはずです。
さて、シーサーとは何か。
玄関に飾る、魔除けです。
沖縄の家では、門の上や屋根の上に置かれます。素朴な焼きしめのものから、色鮮やかに釉薬をかけたものまで、姿はさまざま。二体を対にして置くのが伝統です。
今日のさんぽは、このシーサーから始まって、シーサーで終わります。
というのも、この街の南のはずれには、シーサーを作り続けてきた町があるからです。
壺屋。やきものの町です。
今、目の前にいるこの大きなシーサーも、これから見ていく小さなシーサーたちも、もとをたどれば同じ場所から来ています。
今日はそこまで歩きます。
順番はこうです。まず、この駅前から国際通りを南西へ。通りの真ん中あたりで、アーケードの商店街へ折れます。市場を抜けて、その先の壺屋まで。
表の通りから、裏の路地へ。だんだん静かになっていきます。
最後は、この駅から歩いて十分ほどの場所で終わります。帰りの心配はいりません。
では、行きましょう。
次の停留所へ
シーサーを背にして、国際通りを南西へ歩いてください。
道なりにまっすぐ、六分ほどです。
歩道は広いので、まわりを見ながら進んで大丈夫です。左右の店先は、あとでゆっくり見られます。
右手に那覇市観光案内所が見えてきたら、その前で立ち止まって、次の章を再生してください。
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本文を読む(1201字)
いま立っているのが、国際通りのほぼ真ん中あたりです。
右手に那覇市観光案内所があります。困ったらここに戻ってくれば大丈夫、という場所です。覚えておいてください。
さて、この通りの名前の話をします。
国際通り。
多くの方が、国際交流とか、国際色ゆたかとか、そういう意味だと思っています。
違います。
戦後まもなく、この通り沿いに映画館ができました。名前を「アーネスト・パイル国際劇場」といいます。
当時の人たちは、この通りを「国際劇場のある通り」と呼びました。それが定着して、やがて通り全体の名前になったのです。
つまり、映画館の名前が、通りの名前になった。
その劇場そのものは、もうありません。
けれど映画館と街がつながる感覚は、この近くに残っています。桜坂劇場。一九五二年に開場した芝居小屋を前身とするミニシアターで、閉館の危機を地元の有志が救いました。
さて、もう一つの呼び名があります。
奇跡の一マイル。
全長およそ千六百メートル。ちょうど一マイルほどのこの通りは、そう呼ばれてきました。
なぜ「奇跡」なのか。
沖縄戦で、那覇の市街地はほぼ壊滅しました。
戦争が終わって、人々が少しずつ戻ってきます。焼け野原に露店が立ち、闇市が立ち、そこから短い期間で商店街が立ち上がっていきました。
その復興の速さが、奇跡と呼ばれたのです。
いま見えている、この、ごく普通ににぎやかな通り。ここが、そう呼ばれた場所です。
そして大事なのは、その闇市の系譜が、今日これから歩く場所にいちばん濃く残っている、ということです。
この通りの南側。アーケードの下です。
もう少しだけ、この街の下の層の話をさせてください。
国際通りができる前、このあたりに何があったか。
まず、鉄道が走っていました。
沖縄本島には軽便鉄道、通称ケービンという鉄道があって、一九一四年に開業した那覇駅がその起点でした。
沖縄戦で破壊され、戦後、復活することなく消えました。
今のゆいレールとは、直接のつながりはありません。まったく別の鉄道です。
それから、琉球国王の位牌をまつった寺院がありました。崇元寺といいます。建物は戦火で失われましたが、琉球石灰岩の三連アーチの石門と石垣が残っていて、国の重要文化財に指定されています。
焼けたもの。焼け残ったもの。
那覇という街は、そのどちらもがすぐ隣にあります。だからこそ、残ったものの価値がひときわ大きい。
そして、失われなかったものは、建物だけではありません。
那覇大綱挽という祭りがあります。琉球王国の時代から続く綱引きです。
毎年十月、この国際通りのあたりは、今も祭りの舞台になります。
戦争でいったん途切れた街が、また祭りをやっている。この通りにとっては、それも復興のかたちです。
国際通りを端から端まで歩くのは、二十分ほどです。
その二十分に、一世紀分の物語が折り重なっている。そう思って歩いてみてください。
さて、ここから先が本番です。
表通りを離れます。
次の停留所へ
観光案内所の前から、国際通りをさらに南西へ進みます。
二、三分ほど歩くと、右手にアーケードの入口が見えてきます。市場本通りです。
通りの入口は、うっかりすると通り過ぎてしまうくらい、さりげない構えをしています。屋根に覆われた細い道です。
アーケードに入ったら、次の章を再生してください。
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本文を読む(615字)
屋根の下に入りました。
音が変わったのが分かるでしょうか。国際通りの車の音が、急に遠くなります。
ここが市場本通りです。
国際通りから、第一牧志公設市場の手前まで続くアーケードの商店街。この先の市場の正面につながっている、いわば参道のような通りです。
まちぐゎーを歩くとき、いちばん自然に通ることになるのが、この通りです。
もう一つ、この通りには覚えておくと面白い話があります。
もともとここは、餅や郷土菓子を売る店が多い通りでした。
「お菓子通り」とも呼ばれていたそうです。
今もその名残があります。サーターアンダギーやちんすこうの店が、この通りには残っています。
サーターアンダギーというのは、沖縄風の揚げドーナツのことです。
名前を分解すると、意味が分かります。サーターが砂糖。アンダが油。アギーが揚げる。砂糖と油と揚げる。そのままです。
市場エリアの菓子店や食堂の店先で、揚げたてを一個から買えます。
もし今、揚げている店の前を通ったなら、匂いで分かるはずです。
それから、この屋根について。
まちぐゎーのアーケードは、雨の日でもぬれずに歩けます。
沖縄の雨は、突然きます。強い日差しも、夏はかなりこたえます。この屋根は、観光客のためではなく、毎日ここで買い物をする人のためにあるのですが、旅行者にとってもありがたいものです。
雨が降ってきても、慌てなくて大丈夫。ここから先は、しばらく屋根の下が続きます。
さて、通りを進みます。
この先が、今日の中心です。
次の停留所へ
市場本通りを、そのまま奥へ進んでください。
二分ほどで、通りの正面に大きな建物が見えてきます。第一牧志公設市場です。
入口の前まで来たら、いったん立ち止まって、次の章を再生してください。市場に入る前に聴いておいたほうがいい話があります。
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本文を読む(1170字)
第一牧志公設市場です。
那覇の台所、と呼ばれてきた市場です。
この建物自体は新しく、二千二十三年に建て替えられました。ですから、目の前にあるのはきれいな現代の建物です。
けれど、ここで起きていることは、ずっと変わっていません。
始まりは、戦後の闇市です。
さきほどの章で、焼け野原から商店街が立ち上がっていった話をしました。その闇市の系譜を、いちばん濃く残しているのがこの場所です。
露店から始まって、市場になり、建物が建て替えられても、人が集まる場所としての役割は変わらなかった。
八十年ぶんの「人が集まる」が、この建物の中にあります。
では、中の話をします。
一階は、生鮮です。
魚屋、肉屋、それから島野菜の店が並びます。
魚を見てください。びっくりすると思います。
青やピンクや黄色の、熱帯魚のような魚が、ふつうに氷の上に並んでいます。沖縄の海の魚は、本土の魚屋とは色の世界が違います。
グルクンという魚は、沖縄県の魚に指定されています。イラブチャーという青い魚もいます。
肉は、島豚。あぐー豚の名前を聞いたことがあるかもしれません。
野菜は、ゴーヤーはもちろん、ナーベーラー、これはへちまのことです。それからフーチバー、よもぎのことです。
そして、この市場の名物が「持ち上げ」です。
一階で買った食材を、二階の食堂に持って行くと、調理して出してくれる仕組みです。
やり方はこうです。まず一階で、お店の人に「持ち上げで」と伝えて食材を選びます。このとき、調理代を確認しておくと安心です。一品あたりいくら、という形で決まっています。それから二階の食堂へ持って行って、好みの調理法で出してもらう。
自分で選んだ魚が、目の前で料理になって出てくる。これは市場でしかできない体験です。
もちろん、持ち上げをしなくても大丈夫です。
店先で揚げたての天ぷらやかまぼこを買って、その場でつまむだけでも十分に楽しめます。
沖縄の天ぷらは、本土のものとはかなり違います。衣が厚く、味がついていて、そのまま食べます。
さて、市場に入る前に、二つだけお願いがあります。
一つめ。撮影です。
生鮮の店先と、働いている人。撮るときは必ずひと声かけてください。たいていは快く応じてくれます。だからこそ、順番を守りたいところです。
二つめ。通路です。
狭いです。そして、荷物を運ぶ人が通ります。立ち止まって通路をふさがないこと。写真を撮るときも同じです。
それと、試食をすすめられたら、買う買わないは気軽に考えて大丈夫です。無理のないやりとりで構いません。
もう一つ、時間の話を。
まちぐゎーは、昼どき、十一時から十四時ごろがいちばんにぎわいます。二階の食堂もこの時間は混みます。
ゆっくり過ごしたいなら、ピークを外すか、開店直後を狙うといいでしょう。
では、市場をどうぞ。
音声はここで止めて、戻ってきてから次に進んでください。
次の停留所へ
市場を出たら、来た道とは別の通りへ抜けます。
平和通りです。市場から東側、国際通りのむつみ橋交差点のほうへ向かって延びているアーケードを探してください。
歩いて二分ほど、というより、気づいたら通りが変わっている、という感じの距離です。
アーケードの下を歩きながらで構いません。次の章を再生してください。
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本文を読む(618字)
平和通りです。
国際通りのむつみ橋交差点のあたりから、南東へのびるアーケードの商店街。
まちぐゎーの背骨、と呼ばれる通りです。
ここでひとつ、言葉の話をします。
「まちぐゎー」。
沖縄のことばで、市場や商店街のことです。
那覇では、国際通りの南側に広がるアーケードの商店街と、その真ん中にある公設市場のあたりを、まとめてまちぐゎーと呼びます。
さっき歩いた市場本通りも、いま歩いている平和通りも、それをつなぐ市場中央通りもむつみ橋通りも、全部まとめてまちぐゎーです。
網の目のようにつながっていて、初めてだと確実に迷います。
でも、迷って大丈夫な場所です。どの通りもアーケードに覆われていて、歩いているうちに自然と別の通りへ抜けられます。行き止まりがない。
迷子になっても、そのうちどこかに出ます。
この通りには、土産物店、衣料品店、食堂、甘味処が、びっしりと軒を連ねています。
そして、まちぐゎーの特徴は、観光客と地元客が入り混じることです。
土産物を選んでいる人のすぐ隣で、その日の買い物をしている人がいる。観光地と生活の場が、分かれていないのです。
そして、これも覚えておいてください。
物販の店は、夕方に閉まるところが多いです。
夜のまちぐゎーは、通りによってはシャッターが下りて、昼とはまったく違う静かな顔になります。買い物が目的なら、午前から昼過ぎに動くのが確実です。
さて、この通りを歩き切ると、まちぐゎーは終わりです。
ここから先は、また空気が変わります。
次の停留所へ
平和通りを、南東の方向へ進んでください。
通りが終わるあたりで、大きなシーサーが現れます。壺屋うふシーサーといいます。地元の陶芸家が作った壺屋焼のシーサーで、やきものの町の入口の目印です。
朝いちばんに見た、駅前のうふシーサーの弟分のようなものだと思ってください。
そこからさらに進むと、六分ほどで、道が石畳に変わります。
石畳になったら、そこが壺屋やちむん通りです。立ち止まって、次の章を再生してください。
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本文を読む(1184字)
足もとが石になりました。
壺屋やちむん通りです。
「やちむん」は、沖縄のことばでやきもののこと。ここは、やきものの町です。
まず、音を聴いてみてください。
さっきまでの市場のざわめきが、消えています。
国際通りから歩いて数分。それだけしか離れていないのに、この静けさです。この落差が、那覇という街のいちばん面白いところだと思います。
石畳は琉球石灰岩。両側には窯元やギャラリー、古い赤瓦の家並みが残っています。
さて、なぜここに、やきものの町があるのか。
始まりは一六八二年です。
琉球王国の時代、それまで各地に点在していた窯場が、この壺屋に集められました。
政策として、一か所にまとめたのです。
以来、壺屋は沖縄の焼きものの中心地として続いてきました。三百年以上です。
壺屋焼は、大きく二種類に分かれます。
一つめが、荒焼。あらやち、と読みます。
釉薬をかけずに焼く、素朴で力強い焼きものです。水がめや酒がめ、それからシーサーに使われます。
二つめが、上焼。じょうやち、と読みます。
釉薬をかけて焼く、絵付けの美しい焼きものです。魚の紋様や唐草といった伝統文様の器が知られています。
歩いていると、この両方に出会えます。
店ごとに作風がまるで違うので、何軒か見比べてみてください。それが、この通りのいちばんの楽しみ方です。
器を選ぶときのコツを、二つだけ。
一つは、手に取って重さと質感を確かめること。やちむんは手仕事なので、一点ずつ表情が違います。持ってみないと分かりません。
もう一つは、普段使いできるものを選ぶこと。マカイ、これは茶碗のことですが、マカイや小皿など、毎日の食卓で使えるものは、旅が終わったあとも長く楽しめます。
割れものですから、遠くへ持ち帰るなら、緩衝材でしっかり包んでもらってください。多くの店が郵送にも対応しています。
そして、ここでいちばん大事な話をします。
この通りは、現役の窯元と、人が住んでいる住宅が混ざっている通りです。
窯元や民家の敷地、それから工房。立ち入りと、作業中の撮影は、必ず許可を得てからにしてください。
静かな通りです。大きな声を出さず、落ち着いて歩きたいところです。
それから、足もと。
石畳は、雨の日にすべります。今日もし雨なら、急がずに歩いてください。
もう一つ、この通りについて知っておいてほしいことがあります。
沖縄戦は、那覇の街をほとんど焼き尽くしました。
さっき歩いた国際通りも、市場も、すべて焼け野原からやり直したものです。
けれど、この石畳は残りました。
戦火をくぐり抜けた石畳と、陶工の伝統的な住まいが、この通りには残っています。
那覇で「古いもの」に出会える場所は、そう多くありません。
いま踏んでいる石は、そのうちの一つです。
通りの長さは、ゆっくり歩いて三十分ほど。
器を選んだり、カフェで休んだりしていると、一、二時間はあっという間に過ぎます。
急がずにどうぞ。
次の停留所へ
やちむん通りを、奥へ進んでください。
三分ほど歩くと、通り沿いに、かまぼこのような形をした、細長く低い構造物が見えてきます。
それが、今日の最後の停留所です。
見つけたら、次の章を再生してください。
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本文を読む(714字)
目の前にあるのが、南ヌ窯です。フェーヌカマ、と読みます。
荒焼の登り窯です。
さっきの章で出てきた、釉薬をかけずに焼くほうの焼きもの。あれを焼くための窯です。
傾斜地を利用して、かまぼこ型に築かれています。全長はおよそ二十メートル、幅はおよそ三メートル。
思っていたより大きいでしょうか。それとも小さいでしょうか。
この窯が特別なのは、数です。
現存する荒焼の登り窯としては、唯一のものとされています。
一つしかない、ということです。
一九七三年に、沖縄県の指定有形文化財、建造物として指定されました。
窯そのものは、今は使われていません。けれど、隣でカフェが営まれていて、窯を眺めながらひと休みできます。
三百年以上続いてきた町の、いちばん古い設備を眺めながらお茶を飲む。なかなかできない体験だと思います。
そして、この通りにはもう一軒、見ておいてほしい建物があります。
新垣家住宅です。
壺屋焼の陶工の、伝統的な住宅です。
主屋、作業場、そして登り窯。それがひとそろい残っています。
つまり、暮らす場所と、働く場所が、同じ敷地の中にある。職人の生活と仕事がそのまま形になった建物です。
これは国の重要文化財に指定されています。さきほどの南ヌ窯が沖縄県の指定で、こちらが国の指定です。
敷地の中には、東ヌ窯、アガリヌカマと呼ばれる登り窯が残っていて、その姿を通りから見ることができます。
ただし、ここは大事なところです。
新垣家住宅は、現役の文化財であり、人が管理している敷地です。
無断で敷地に立ち入らず、通りからの見学にとどめてください。
南に窯があって、東に窯がある。フェーヌカマと、アガリヌカマ。
この通りは、そういう地図でできています。
さんぽは、ここまでです。
次の停留所へ
歩くのはここまでです。
どこか座れる場所を見つけて、最後の章を再生してください。
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本文を読む(843字)
おつかれさまでした。
歩いてきた道を、少し振り返ります。
駅前の大きなシーサーから始まりました。
映画館の名前が通りの名前になった、その通りを歩きました。焼け野原から立ち上がった速さが「奇跡」と呼ばれた通りです。
そこからアーケードに折れて、屋根の下に入りました。もとはお菓子の店が並んでいた通りです。
闇市から続く市場を見ました。自分で選んだ魚を二階で料理してもらえる市場です。
まちぐゎーの背骨を歩きました。観光地と生活の場が分かれていない通りです。
そして石畳に出て、三百年以上やきものを焼いてきた町に入り、たった一つ残った荒焼の窯を見ました。
表通りから、裏の路地へ。
一枚ずつめくっていったら、いちばん奥に、いちばん古いものがありました。
那覇という街は、そういう作りになっています。
持ち帰っていただきたい言葉を、三つ。
まちぐゎー。市場や商店街のこと。この街の背骨です。
やちむん。やきもののこと。
うふ。大きい、という意味。今日、二つの「うふシーサー」に会いました。
この三つを覚えておくと、次に沖縄のどこかの町を歩いたときに、看板の読み方が少し変わります。
もう一つ、食べもののことばを。
チャンプルー。これは「混ぜこぜにしたもの」という意味です。
ゴーヤーチャンプルーのチャンプルー。混ぜこぜ。それだけの意味です。
沖縄の料理の名前は、たいてい、そのままのことを言っています。分解してみると意味が分かる。旅の楽しみが一つ増えます。
さて、帰り道です。
ここから牧志駅までは、歩いて十分ほど。朝の出発点に戻る形になります。
まだ時間があるなら、来た道を戻らずに、別の通りを通ってみてください。まちぐゎーは網の目です。行き止まりはありません。
最後に、もう一度だけ。
まちぐゎーは、観光地であると同時に、地元の人が毎日買い物をする生活の場です。
通路の真ん中で立ち止まらない。撮るときはひと声かける。ごみは持ち帰る。
それだけで、この街はずっと親切になります。
那覇の路地から、よい旅を。
またどこかの通りでお会いしましょう。
歩く前に
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